研究概要

 近年の精密有機合成化学の発展にともない,これまで困難と思われてきた様々な有機化合物の合成が可能となってきています. 私たちは,物理化学的・材料科学的に興味深いと考えられるパイ電子系有機化合物を実際に創り出すとともに,その電子状態を探り,それに起因する諸機能の発現を目指して研究しています. とりわけ,パイ電子系有機化合物上に発生した複数の電荷やスピンの示す振る舞いを基礎レベルで理解することが,真に分子エレクトロニクスに資する有機分子材料への応用展開につながると信じて日々研究を進めています. 現在取り組んでいる研究課題は以下に示すとおりです.

有機混合原子価化合物の化学 –局在か非局在か−

 分子エレクトロニクスに資する有機分子パーツの有する要件として,我々は,(1)比較的簡単な小分子単位から組み上げられ,(2)多段階レドックス活性であり, (3)比較的剛直であることの3点が挙げられるのではないかと考えています.要件(1)を満たすものとしてはオリゴマー分子をすぐに思い浮かべることができます. 要件(2)を満たすものとしては色々な可能性がありますが,我々は酸化によってラジカルカチオン中心を比較的安定に発生させることのできる芳香族アミン分子に注目しています. 芳香族アミン分子を小分子単位と見た場合に,それらを構成単位として構築される巨大分子の特徴的な点はそのトポロジー(繋がり方)にあると考えられます. 連結のさせ方としてメタフェニレンで繋ぐ場合とパラフェニレンで繋ぐ場合が対照的かつ基本的であると言えます.酸化させた際の電荷(もしくはスピン)の拡がりという点に着目すると, 前者の結合形態が電荷(もしくはスピン)を局在化させる傾向を持つ一方,後者の結合形態は非局在化させる傾向を持つと考えられます. 従って2つの構成単位の組み合わせの仕方によって無限の種類のスピン・電荷分布のネットワーク状態が巨大分子上に実現可能となります. さらに段階的に酸化状態を変えることによってこのネットワーク状態の制御・スイッチングも可能となります.こうした芳香族アミンオリゴマーの部分酸化状態におけるスピン電子状態は一般的に混合原子価状態と呼ばれ, スピン・電荷がレドックス中心間をゆらいでいる状態であり,導電性や磁性はもとより興味深い電子物性を発現する可能性を秘めています. そのため,有機混合原子価分子は,分子エレクトロニクス材料開発のための有用なプラットフォームと捉えることができます.現在,有機化合物での混合原子価状態として実際によく調べられているのは, ビス(トリフェニルアミン)を中心とする芳香族アミンであるという点も我々が芳香族アミン分子に注目している理由の一つです.
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図1. 最も簡単な混合原子価状態が発現する芳香族アミン分子(TMPDTAPD)とデンドリマー型芳香族アミンオリゴマー分子12

 混合原子価状態は電荷の局在化の度合いによって3つに分類されており,電荷が複数のレドックス中心全体に非局在化している状態をクラスⅢ, 逆に1つのレドックス中心に完全に局在化している状態をクラスⅠ,そして上記2つの状態の中間状態をクラスⅡと呼んでいます.芳香族アミンのうち最も簡単な混合原子価分子は, 2つのレドックス中心がパラフェニレンで結ばれたTMPDTAPDと呼ばれる芳香族ジアミンのラジカルカチオン種であり,これらは現在クラスⅢの混合原子価状態であると認識されています(図1). つまりレドックス中心がパラフェニレンで結ばれた形の芳香族アミンオリゴマー分子では,発生した電荷(またはスピン)が分子全体に非局在化することが期待できます. 例えば,デンドリマー型の分子1(図1)は,有機ELデバイスのホール輸送層にうってつけの分子と考えられますが,実際に分子1のラジカルカチオンでは電荷(またはスピン)が分子全体に非局在化していることを明らかにしました[1]. 一方,デンドリマーのコア部分を分子1のトリフェニルアミンから1,3,5–ベンゼントリイルに変更しただけで様子が一変します.分子2(図1)のラジカルカチオンでは,発生した電荷(またはスピン)が3つのデンドロンの一つに局在化し, さらに3つのデンドロン間を電荷(またはスピン)移動していることを明らかにしました(図2).デンドロン内で電荷(またはスピン)は非局在化しているため,分子2のラジカルカチオンでは1つの分子内でクラスⅡとクラスⅢの混合原子価状態が共存していることがわかりました[2]. これらの結果は,メタフェニレン連結部位とパラフェニレン連結部位を合わせもつような芳香族アミン分子を利用することにより,分子内における電荷分布を制御できる可能性を示していると考えられます.

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図2. 分子2のラジカルカチオン種における分子内電荷(スピン)移動の様子.

 このように,メタフェニレンで連結された芳香族アミンのラジカルカチオン種においては,クラスⅡの混合原子価状態になることが示されました.一方,メタフェニレンで連結された芳香族アミン類では、 2つ以上のレドックス中心が酸化された場合に,局在している2つのスピン中心間に強磁性的相互作用が発生することも知られています. このことは、メタフェニレン連結部位を芳香族アミンオリゴマー内にうまく導入することにより,多価カチオン種において高スピン状態を発現できることを示唆しています.例えば図2に示した分子2のジカチオン種,トリカチオン種は, それぞれ安定なスピン3重項状態,4重項状態であることを明らかにしています[3].このように,芳香族アミンオリゴマー分子においては, その結合形態を適切に変更することで導電性や磁性に密接に関わる電子状態変化を容易に実現できることが理解されます.

[1] Chem. Mater. 2011, 23, 841. [DOI: 10.1021/cm102163w]
[2] J. Phys. Chem. A 2007, 111, 2951. [DOI: 10.1021/jp068917t]
[3] J. Phys. Chem. A 2006, 110, 4866. [DOI: 10.1021/jp0557924]


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高スピン有機分子の化学

 光、電場、磁場などの外場の印加により特異な電子物性を発現する有機物質は次世代分子エレクトロニクスに資する先端材料として注目されています. 例えば磁性材料分野においては、純有機物質からなる強磁性体がすでに発見されています。しかし常温大気中で取り扱い可能な高スピン有機分子材料となると, 現在でもなおその種類は少ないと言わざるを得ません.我々はπ共役系有機分子中に多数のラジカル中心を安定に発生させるための物質開発の研究にも取り組んできました. 本項ではそれらの一例として、複数の局在スピンと非局在(動的)スピンが有機分子中に共存する分子系について紹介します.
 スピンエレクトロニクスにおいて重要なデバイスの機能の一つとして、スピン整流機能をがあります.スピン整流機能を理想的に実現していると考えられているハーフメタルでは, フェルミ準位がただ1つのスピンバンドを横切るために,伝導電子のスピンは一方向に完全にスピン偏極します.このためハーフメタルに電気を流すとアウトプットとしてスピン偏極電流が得られます. したがって2つのハーフメタル電極間に絶縁体薄膜を挟み,磁場で両電極を同方向に磁化するとスピン偏極電流はスムーズに流れるが,ひとたび,一方に電の磁化を反転すると,スピン偏極電流は完全に遮断され, スピン整流が実現するということになります.一方,あまりに単純化しすぎてはいますが、単一分子デバイスにおいてソース,ドレイン電極として強磁性金属を用い, スピン分極した分子を電極間に挟むと単一分子スピンデバイスになるだろうと素朴には考えられます.
 このような発想に従い,我々はスピン分極コア有機分子の開発を目指して研究を行っています.古くはZenerにより提案された二重交換相互作用モデルにヒントを得て, 二重交換相互モデルに類似した分子系を芳香族アミンオリゴマー分子で実現するための分子設計、ならびにモデル分子による動作特性確認を行っています.二重交換相互作用系では,隣り合う2つのサイトを考え, 各サイトには局在スピンが占有し得る準位とともに,伝導電子がホッピング伝導するための準位も確保されていると考えます.さらに各サイト内における局在スピンと伝導電子の間に強磁性的相互作用を仮定します. このとき2つのサイト間をホッピングする伝導電子の有効トランスファー積分の絶対値は2つのサイトに存在する局在スピンが強磁性的に揃っている場合に最大となります(図3(a)). これが二重交換相互作用モデルと呼ばれるもので,局在スピンと伝導電子を含めた全系のスピンの向きが揃った場合に伝導電子が動きやすくなることを示しています.このようなスピン分極分子系は, 単一分子スピンデバイスのコア分子として有望であると考えられます.二重交換相互作用分子系の実現のためには,1つの分子内に局在スピンと非局在スピンが共存していることが必要であると同時に, 2種類のスピン間に磁気的相互作用が働く必要があります.

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図3. (a)二重交換相互作用モデルと(b)類似モデルを実現する芳香族アミンオリゴマー分子の例.

 上記の条件を満たす分子系として,例えば図3(b)に示すように,オリゴパラアニリンの側鎖に安定な中性ラジカルスピン源となるニトロキシド類を, 主鎖上に発生する非局在伝導スピンとの間に強磁性的相互作用が発生するように置換した形の分子系が考えられます.さらに最も簡単なモデル分子系である図4に示す分子3のようなジラジカル分子においては, 中性状態において,2つのニトロキシド基上の局在スピン間には極めて弱い磁気的相互作用しか存在しないが,1電子酸化すると,ニトロキシド基ではなく, 主鎖のパラフェニレンジアミン部位が酸化され,2つの局在スピンと1つの非局在スピン間に強磁性的相互作用が発現することを確認することができました[4]. またこのときのパラフェニレンジアミンのラジカルカチオンはクラスⅢの混合原子価状態にあることもわかり,二重交換相互作用類似系が有機分子においても実現可能であることが示す結果と考えています.

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図4. 分子3とその1電子酸化種で発現するスピン四重頃状態.

[4] J. Am. Chem. Soc. 2006, 128, 2948. [DOI: 10.1021/ja056318e]

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大環状芳香族アミン・カゴ状芳香族アミンの化学

 前々項で述べた分子エレクトロニクスに資する分子パーツの有する3要件のうち (3)比較的剛直であることについてはこれまで触れてきませんでした. 本項では,この要件に関連する研究事例について紹介します.導電性高分子の一つであるポリアニリンのオリゴマー類のラジカルカチオン種の電子スピン共鳴スペクトルを調べたHeinzeとGescheidtらによると, 発生したスピンはオリゴマー鎖長に関係なく,主として中央部に局在化することを明らかにしています.一方,近年我々が合成に成功した環状オリゴマー分子4のラジカルカチオン種のスピンは分子全体に非局在化していることがわかりました[5]. この違いは,線形オリゴマー分子では末端部が存在するが,分子4には存在しないこと(周期的境界条件),さらには分子4の対称性の高さが原因していると考えられますが, 線形オリゴマー分子ではコンフォメーションについての自由度が大きいことから,分子全体にわたったπ共役を実現しにくいことも影響していると推察されます. さらに分子骨格の剛直性が電子状態に決定的な影響を与える例として,線形オリゴマー分子の多価カチオン種のスピン多重度の低下が挙げられます.ポリアニリンの異性体であるポリメタアニリンやその誘導体は, 酸化した際に発生したラジカルスピン間に強磁性的相互作用が発生し高スピンポリマーとなることが理論的に予言され,これまでに酸化体のスピン多重度について調べられてきましたが, ポリマー鎖全体にわたって強磁性的相互作用を維持できず,せいぜいスピン4重項程度までのスピンクラスターしか発生していないことが報告されてきました. 我々は芳香族アミンオリゴマー分子モデルについて種々調べた結果,比較的短い鎖長のオリゴマーの多価カチオンについても,すでに強磁性的相関が保たれないことを確認するとともに[6], 剛直なコンフォメーションを有する大環状芳香族アミンを主鎖骨格中に導入することにより,高スピン状態を回復できることも明らかにしています[7]. このことは,磁気的相互作用を分子中で思いどおりに発現させるためには,分子骨格の剛直性が重要であることを示唆していると考えています.
 さらに,分子骨格の剛直性を増すためには,3次元的なネットワークをもったカゴ型や筒型の構造を有する分子が有効であると考えられます. このような視点に立ち,我々は,図5に示すような3次元的なネットワーク構造を有する芳香族アミンオリゴマー分子を実際に合成し,それらの多価カチオン種を含めた電子状態について調べています[8,9].

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図5. 分子4のラジカルカチオン種と3次元的なネットワークをもった芳香族アミン分子.

[5] Angew. Chem. Int. Ed. 2010, 49, 8205. [DOI: 10.1002/anie.201002165]
[6] Eur. J. Org. Chem. 2009, 4441. [DOI: 10.1002/ejoc.200900403]
[7] Chem. Commun. 2009, 4524. [DOI: 10.1039/b907792h]
[8] Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 8281. [DOI: 10.1002/anie.201203451]
[9] Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 9403. [DOI: 10.1002/anie.201204106]


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新規な分子設計指針に基づく発光性有機分子の創成

 これまでの発光性分子材料開発においては,本来発光性を有する分子部位を化学修飾し,発光特性の向上を図る研究,また, π共役性分子に発光性分子部位を組み込むことにより生じる電荷移動励起状態からの発光を促進する研究が多くを占めてきましたが, 我々は,やや異なる発想から新しい発光性分子の開発を行いつつあります. 発光を抑制する主な原因として,分子内の特定の振動モードとの振電相互作用による励起状態の無輻射失活が挙げられますが, 振電相互作用を抑制する分子設計を行うことで,これまで発光特性を有しない分子系に発光特性を付与することができると考えています[10], こうした分子設計指針に基づいて,例えば,無発光性化合物であるトリフェニルアミン中心に無発光性化学種であるモノカルボレートアニオンを置換することにより, 発光特性の発現に最近成功しました(図6の分子5)[11].このように,振電相互作用解析に基づく分子設計を行うことにより, 無発光性分子の発光特性の向上を図ることができれば,発光性分子材料開発の可能性が拡がると期待できます.
 もう一つの例として,ヘキサベンゾコロネン分子もほとんど発光しない分子と考えられてきました.我々はアミノ基とボリル基を置換することにより, 高い量子収率を示す発光性ヘキサベンゾコロネン分子(図6の分子6)の開発にも成功しています[12].

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図6. 発光性有機分子の例(分子5(モノカルボレートアニオンの各頂点上に位置するホウ素原子表記は略しています)と分子6).

[10] Chem. Phys. Lett. 2014, 615, 44. [DOI: 10.1016/j.cplett.2014.10.004]
[11] Chem. Phys. Lett. 2015, 633, 190. [DOI: 10.1016/j.cplett.2015.05.038]
[12] Org. Lett. 2017, 19, 392. [DOI: 10.1021/acs.orglett.6b03596]


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パイ電子系有機化合物とカルボランのシグマ共役の融合による新規機能性分子化合物の創出

 カルボランとは,多面体構造を有する水素化ホウ素クラスター中のいくつかのホウ素原子を炭素原子に置換した炭素含有ヘテロボランクラスターの総称です. なかでも、正二十面体構造を有するB12H122–ホウ素クラスターのホウ素原子が,1個もしくは2個,炭素原子で置換されたものは安定なカルボランとして知られています. これらのクラスターを形成する骨格電子はσ結合を介して分子全体に非局在化しており,closo系に代表されるような閉じた形のカルボランクラスターに見られるσ共役に基づく電子的安定性を「三次元芳香族性」と呼ぶこともあります. カルボランは医学的応用なども検討されている興味深い無機クラスターですが,このカルボランを種々化学修飾すれば,レドックス反応によりラジカル種が発生しスピン源として利用できるほかに,π電子系有機分子ユニットを置換することにより,クラスター表面に拡がるσ共役とπ共役を結び,拡張共役系へと展開できる可能性を秘めています.
 しかしながら,カルボランクラスターの有するσ共役系と有機π共役系との間の共役の拡張により,電荷輸送分子材料,磁性分子材料,発光性分子材料への展開を図った例はそれほど多くはありません. 我々は、π共役系有機分子ユニットとカルボランからなる新規な有機・無機ハイブリッド型「元素ブロック」を新たに分子設計するとともに,それらの電子構造・電子状態を解明することで, 従来にない機能性分子材料を開発することが可能になると考えて研究を進めています.

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有機分子ドーパントの開発とそのドーピング機序の解明

 有機薄膜デバイスの研究の進展に伴い,コンタクト部位やチャネル部位へのドーピングがデバイス性能や安定性に大きな影響を与えることが理解されてきました. これに伴い、有機分子ドーパント開発の気運が高まっています.とりわけ現状ではn型有機分子ドーパントの開発が急務となっています.我々は,現在,n型を中心とした有機分子ドーパントの開発にも取り組んでいます.

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